釈迦如来坐像 総高100cm 米桧 白木素地 玉眼
釈迦如来坐像裳懸け台座 総高80cm 米桧 白木素地
釈迦説法印坐像 総高200cm 米桧 白木素地玉眼
釈迦如来坐像 総高100cm 米桧 白木素地 玉眼
釈迦如来定印坐像 総高100cm 米桧 白木素地 玉眼
乳粥を受けるお釈迦様
今から2500年以上も昔、お釈迦様が自分の覚った真理を人々に伝えたことで、仏教が形成されました。
ここでは当社謹刻の釈迦八相欄間のそれぞれの場面をご説明させて頂きお釈迦さまの生涯を辿ってみたいと思います。
35歳~
6年間の苦行を経てお釈迦様はお気づきになりました。
「苦行は自分の求める真理を得る方法ではない。
求める真理は、快楽でもなく苦行でもなく、どちらにも
偏ることのない〈中道〉である」苦行をやめ、
バニヤンの樹の下でスジャータ(セーナ族村長の娘、
お釈迦様を樹神と勘違い)に乳粥を受けます
※スジャータに乳粥を受けるお釈迦様
乳粥を受けたお釈迦様は、苦行時のやせ細った肉体から徐々に回復していきます。
その後、ブッダガヤーに場所を移し、満月の夜、
菩提樹の下で瞑想を始めました。
四門出遊(しもんしゅつゆう)
今から2500年以上も昔、お釈迦様が自分の覚った真理を人々に伝えたことで、仏教が形成されました。
ここでは当社謹刻の釈迦八相欄間のそれぞれの場面をご説明させて頂きお釈迦さまの生涯を辿ってみたいと思います。
16歳~
ヤソーダラーと結婚し、のちに息子ラーフラが
生まれます。
※四門出遊(しもんしゅつゆう)
お釈迦様がまだ太子の時、王城の東西南北の四つの門から郊外に出掛け、それぞれの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会いました。人生の苦しみを目のあたりに
見て、苦諦に対する目を開き、出家を決意したといわれています。
お釈迦様の悩み
「人はなぜ、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、
死ぬ苦しみから抜け出せないのか。」→その苦悩を克服するために出家を決意します。
托胎霊夢(たくたいれいむ)
今から2500年以上も昔、お釈迦様が自分の覚った真理を人々に伝えたことで、仏教が形成されました。
ここでは当社謹刻の釈迦八相欄間のそれぞれの場面をご説明させて頂きお釈迦さまの生涯を辿ってみたいと思います。
0歳~
お釈迦様はサーキャ族(釈迦族)の王子として、ルンビニー(現在のネパール南部)でお生まれになりました。
お釈迦様の母、摩耶夫人(まやぶにん)はご懐妊にあたって、六本牙を持った白い象が、右脇から胎内に入る夢を見たといわれています。
薬師如来裳懸坐像 総高63cm 米桧 白木素地
釈迦如来裳懸坐像 総高74cm 米桧 白木素地 玉眼
釈迦如来坐像 総高80cm 米桧 白木素地 玉眼
釈迦如来坐像 ご仏壇用ご本尊 総高32cm 米桧 白木素地

「新築した自宅に現代仏壇を新調しました。部屋と仏壇の雰囲気に合ったご本尊を色々探しましたが、心にピッタリくるお姿に出会えずにおりました。そんな時、仏像彫刻原田さんに辿り着きました。希望するお姿を造っていただけますか?」
そんなお問い合わせを頂き完成したのがこちらのお姿です。まず、実際のご仏壇の正面からのお写真を頂き、安置スペースの高さ、奥行き、横幅の寸法を教えて頂きました。その上で、調和を重視しながら全体的な構成と大きさを検討させて頂き、並行して、ご面相やご印相、お衣の形状などのご希望を伺わせて頂きました。そのご希望を基本とし、何度かの実寸大パネルによるシミュレーションを経て、謹刻、完成に至りました。
構成は、限られたスペースの中で、お姿がより大きく、より立派になるよう蓮台の形状や高さを工夫、調整し、窮屈でなく、かと言って間延びするような事がないように配慮致しました。
お客様からは「寸法もイメージもピッタリです!」との嬉しいお言葉を頂き、私どもも安心致しました。ご本尊をお迎えされるというご一家の大きな慶事にご用命賜りました事、大変有り難く、光栄な事でございました。合掌
阿弥陀如来坐像 釈迦如来坐像 薬師如来坐像 八体仏守本尊像
大日如来像 総高95cm 米桧 玉眼
釈迦如来坐像 薬師如来坐像 総高125cm 米桧 玉眼
阿弥陀如来坐像坐像 総高231cm 米桧
丈六釈迦三尊像 米桧 玉眼
釈迦八相欄間
釈迦如来坐像 (裳懸け) 総高105cm 米桧 玉眼
薬師瑠璃光如来

仏像彫刻原田謹刻
薬師瑠璃光如来坐像(やくしるりこうにょらいざぞう)
【薬師瑠璃光如来】
東方浄瑠璃世界の教主。
人々を病の苦しみから救い、寿命を延ばし、貧困を除く。
薬師様は、まだ菩薩として修行しておられた時に衆生を救済する十二の大願を立てられ、それを成就されて如来になられました。薬師様には、病からの救済のほか、古くは罪を懺悔(さんげ)する修法の本尊として、また、天変地異や政変などの社会不安からの救済という大きな願いが託されてきました。左手には万病に効く薬が入った薬壺(やっこ)を持たれています。「薬師」とは、外科が存在しなかった中世以前には、現代の医師に対応する言葉であったそうです。
釈迦十大弟子 迦葉尊者 阿難尊

仏像彫刻原田謹刻
釈迦十大弟子像うち 迦葉尊者像 阿難尊者像
【釈迦十大弟子】
お釈迦様の弟子の中で主要な10人の弟子のこと。
【迦葉尊者~かしょうそんじゃ】
釈迦十大弟子の一人。パーリ語でマハーカッサパ、サンスクリット語でマハーカーシャパ。仏教教団でお釈迦様の後継(第2祖)とされ、お釈迦様の死後、第一結集の座長を務めた。頭陀第一といわれ、衣食住にとらわれず、清貧の修行を行った。
【阿難尊者~あなんそんじゃ】
釈迦十大弟子の一人。パーリ語でも、サンスクリット語でアーナンダ。多聞第一といわれ、お釈迦様の従弟。出家して以来、お釈迦様が亡くなるまで25年間付き人をした。第一結集のとき阿難尊者の記憶に基づいて経が編纂された。
【結集~けつじゅう】
「結集」のサンスクリット語の本来の意味は「ともに歌うこと」であった。比丘たちが集まってお釈迦様の教えを誦出(じゅしゅつ)し、互いの記憶を確認しながら、合議のうえで仏典を編集した事業を結集と呼んでいる。伝承によると、お釈迦様入滅後、王舎城郊外に500人の比丘(すなわち、五百羅漢)が集まり、最初の結集が開かれたという。このときは、迦葉尊者が座長となり、阿難尊者と優波離尊者が、それぞれ経(経典)と律(戒律)の編集責任者となった。
釈迦如来坐像 施無畏与願印 玉眼 総高80cm
釈迦説法像

仏像彫刻原田謹刻 釈迦説法像
お釈迦さまが説法をされているお姿です。頭髪と衣はガンダーラ仏の様式を取り入れてあります。以下、初転法輪(しょてんほうりん)に関しての記述です。
初転法輪(しょてんぽうりん)とは、お釈迦様が初めて仏教の教義(法輪)を人びとに説いた出来事を指します。具体的には、お釈迦様が菩提樹下で悟りを開いた後、鹿野苑で元の5人の修行仲間に初めて仏教の教義を説いた出来事を指します。お釈迦様は当初、仏法の説明は甚だ難しく、衆生に教えを説いても理解されず徒労に終わるだろうと、教えを説くことをためらったとされます。
四菩薩立像 (浄行菩薩像) 米桧 総高90cm 玉眼
釈迦如来坐像 施無畏与願印
釈迦如来坐像 米桧 総高100cm 玉眼
釈迦如来 多宝如来 四菩薩像
釈迦八相欄間 米桧 160cm x 55cm
三宝尊 米桧 総高195cm 玉眼 総金箔肌粉
三宝尊 米桧 総高174cm 玉眼 総金箔肌粉
一尊四士シミュレーション
文殊菩薩像 米桧 総高75cm
普賢菩薩像 米桧 総高75cm
阿弥陀如来坐像 米桧 総高100cm
釈迦如来坐像 米桧 総高110cm 玉眼
釈迦如来坐像 米桧 総高130cm
釈迦如来坐像 米桧 総高100cm 玉眼
釈迦如来坐像 米桧 総高150cm
阿弥陀如来坐像 米桧 総高4.8m 総金箔 復元
多宝如来坐像 米桧 総高77cm 玉眼
丈六釈迦如来坐像 米桧 総高4.8m 玉眼
如来三尊 米桧 総高130cm 玉眼
丈六釈迦如来坐像 米桧 総高5m 玉眼
釈迦苦行像 米桧 総高90cm 玉眼
釈迦初転法輪像 米桧 90cm
釈迦如来坐像 米桧 総高145cm 玉眼
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