阿弥陀如来坐像 釈迦如来坐像 薬師如来坐像 八体仏守本尊像

      

      

      

     


一光三尊阿弥陀如来像

仏像彫刻原田謹刻 一光三尊阿弥陀如来像 【善光寺式阿弥陀三尊】 阿弥陀如来を中尊に,その左右に観音、勢至の二菩薩を脇侍とする。三尊全体の背後を大きな一枚の舟形光背がおおっている。これにより「一光三尊」という。この一光三尊形式の源流は中国北魏時代の仏像に求められる。三尊足下の蓮台は臼形蓮台とよばれ,蓮肉部の高い垂敷蓮華である。光背は大きな舟形光背で,光中に七化仏がある。 ◆お施主様からのご要望で、総高45㎝のお姿を謹刻納入させていただきました。桧の白木素地に、金線が施してございます。

仏像彫刻原田謹刻 一光三尊阿弥陀如来像
【善光寺式阿弥陀三尊】
阿弥陀如来を中尊に,その左右に観音、勢至の二菩薩を脇侍とする。三尊全体の背後を大きな一枚の舟形光背がおおっている。これにより「一光三尊」という。この一光三尊形式の源流は中国北魏時代の仏像に求められる。三尊足下の蓮台は臼形蓮台とよばれ,蓮肉部の高い垂敷蓮華である。光背は大きな舟形光背で,光中に七化仏がある。
◆お施主様からのご要望で、総高45㎝のお姿を謹刻納入させていただきました。桧の白木素地に、金線が施してございます。

一光三尊阿弥陀如来像  一光三尊阿弥陀如来像  一光三尊阿弥陀如来像


勢至菩薩

仏像彫刻原田謹刻 勢至菩薩坐像 智慧の光により菩薩心の種子を与え、その光によって衆生を救う菩薩。うま年の守り本尊、十三仏の一周忌本尊として知られている。観音菩薩が宝冠の前面に化仏を表すのと対照的に、勢至菩薩は水瓶を付けることが多い。 ◆このお姿は半眼で、左手に持たれた未敷蓮華(ハスの蕾)を、右手で開花させようとする印相をとっておられます。

仏像彫刻原田謹刻 勢至菩薩坐像
智慧の光により菩薩心の種子を与え、その光によって衆生を救う菩薩。うま年の守り本尊、十三仏の一周忌本尊として知られている。観音菩薩が宝冠の前面に化仏を表すのと対照的に、勢至菩薩は水瓶を付けることが多い。
◆このお姿は半眼で、左手に持たれた未敷蓮華(ハスの蕾)を、右手で開花させようとする印相をとっておられます。


迦楼羅王

仏像彫刻原田謹刻 迦楼羅王像(かるらおうぞう) サンスクリット語のガルダの音写。 天龍八部衆の第一。 蛇(コブラ)を常食とする伝説の巨鳥ガルダが仏教に取り込まれ、仏法守護の神となった。口から金の火を吹き、赤い翼を広げると336万里にも達するとされる。 仏教において、毒蛇は雨風を起こす悪龍とされ、煩悩の象徴といわれる為、龍(毒蛇)を常食としている迦楼羅は、毒蛇から人を守り、龍蛇を喰らうように衆生の煩悩(三毒)を喰らう霊鳥として信仰されている。 不動明王背後の炎は迦楼羅の吐く炎、または迦楼羅そのものの姿であるとされ「迦楼羅焔」(かるらえん)と呼ばれる。

仏像彫刻原田謹刻 迦楼羅王像(かるらおうぞう)
サンスクリット語のガルダの音写。天龍八部衆の第一。
蛇(コブラ)を常食とする伝説の巨鳥ガルダが仏教に取り込まれ、仏法守護の神となった。口から金の火を吹き、赤い翼を広げると336万里にも達するとされる。仏教において、毒蛇は雨風を起こす悪龍とされ、煩悩の象徴といわれる為、龍(毒蛇)を常食としている迦楼羅は、毒蛇から人を守り、龍蛇を喰らうように衆生の煩悩(三毒)を喰らう霊鳥として信仰されている。不動明王背後の炎は迦楼羅の吐く炎、または迦楼羅そのものの姿であるとされ「迦楼羅焔」(かるらえん)と呼ばれる。


沙羯羅王

仏像彫刻原田謹刻 沙羯羅王像(しゃがらおうぞう) サンスクリット語のサーガラ・ナーガ・ラージャの音写(娑伽羅~しゃから とも)で、大海龍王と訳される。護法神である八大龍王の一尊。「法華経」には、この龍王の八歳になる娘が聞法修行して悟りを得る「龍女成仏」のエピソードが説かれている。

仏像彫刻原田謹刻 沙羯羅王像(しゃがらおうぞう)
サンスクリット語のサーガラ・ナーガ・ラージャの音写(娑伽羅~しゃから とも)で、大海龍王と訳される。護法神である八大龍王の一尊。「法華経」には、この龍王の八歳になる娘が聞法修行して悟りを得る「龍女成仏」のエピソードが説かれている。


阿修羅

仏像彫刻原田謹刻 阿修羅像(あしゅらぞう) 仏法を守護する天竜八部衆の一。 元来は古代インドの神で,帝釈天(たいしゃくてん)とたたかう鬼神であるが,仏教では八部衆のひとつとして仏法をまもる。サンスクリットasuraの音写であり、修羅とも略される。修羅の巷(ちまた),修羅場などの語はここから起こった。

仏像彫刻原田謹刻 阿修羅像(あしゅらぞう)
仏法を守護する天竜八部衆の一。
元来は古代インドの神で,帝釈天(たいしゃくてん)とたたかう鬼神であるが,仏教では八部衆のひとつとして仏法をまもる。サンスクリットasuraの音写であり、修羅とも略される。修羅の巷(ちまた),修羅場などの語はここから起こった。


白衣観音

仏像彫刻原田謹刻 白衣観音像(びゃくえかんのんぞう) 観音菩薩のかぎりない慈悲の心は白処に住むとするところから,白処尊菩薩とも呼ばれて信仰されてきた。過去の儀軌にとらわれることなく,三十三身に変化して一切の苦悩を消散せしめ,不吉を転じて吉祥となす。

仏像彫刻原田謹刻 白衣観音像(びゃくえかんのんぞう)
観音菩薩のかぎりない慈悲の心は白処に住むとするところから,白処尊菩薩とも呼ばれて信仰されてきた。過去の儀軌にとらわれることなく,三十三身に変化して一切の苦悩を消散せしめ,不吉を転じて吉祥となす。


釈迦説法像

仏像彫刻原田謹刻 釈迦説法像 お釈迦さまが説法をされているお姿です。 頭髪と衣はガンダーラ仏の様式を取り入れてあります。 以下、初転法輪(しょてんほうりん)に関しての記述です。 初転法輪(しょてんぽうりん)とは、お釈迦様が初めて仏教の教義(法輪)を人びとに説いた出来事を指します。 具体的には、お釈迦様が菩提樹下で悟りを開いた後、鹿野苑で元の5人の修行仲間に初めて仏教の教義を説いた出来事を指します。お釈迦様は当初、仏法の説明は甚だ難しく、衆生に教えを説いても理解されず徒労に終わるだろうと、教えを説くことをためらったとされます。

仏像彫刻原田謹刻 釈迦説法像
お釈迦さまが説法をされているお姿です。頭髪と衣はガンダーラ仏の様式を取り入れてあります。以下、初転法輪(しょてんほうりん)に関しての記述です。
初転法輪(しょてんぽうりん)とは、お釈迦様が初めて仏教の教義(法輪)を人びとに説いた出来事を指します。具体的には、お釈迦様が菩提樹下で悟りを開いた後、鹿野苑で元の5人の修行仲間に初めて仏教の教義を説いた出来事を指します。お釈迦様は当初、仏法の説明は甚だ難しく、衆生に教えを説いても理解されず徒労に終わるだろうと、教えを説くことをためらったとされます。


毘沙門天

仏像彫刻原田謹刻 毘沙門天像 サンスクリット名ヴァイシュラヴァナ(Vaiśravaṇa)を写したもので多聞天とも訳す。古代インド神話中のクベラ(Kuvera,俱尾羅 ガンジス河のワニを神格化した神)が仏教にとり入れられた。拘毘羅(くびら)毘沙門と称されることもある。四天王の一尊として北方をつかさどり,また財宝富貴をも守るといわれる。形像は,甲冑を着る武神像で,一方の掌に宝塔をのせ,もう一方の手に戟または宝棒を持ち2邪鬼の上に乗る姿が一般的である。吉祥天は毘沙門天の妻である。

仏像彫刻原田謹刻 毘沙門天像
サンスクリット名ヴァイシュラヴァナ(Vaiśravaṇa)を写したもので多聞天とも訳す。古代インド神話中のクベラ(Kuvera,俱尾羅 )が仏教にとり入れられた。拘毘羅(くびら)毘沙門と称されることもある。四天王の一尊として北方をつかさどり,また財宝富貴をも守るといわれる。形像は,甲冑を着る武神像で,一方の掌に宝塔をのせ,もう一方の手に戟または宝棒を持ち、邪鬼の上に乗る姿が一般的である。吉祥天は毘沙門天の妻である。


賓頭盧尊者

お釈迦様の弟子。弟子中でも獅子吼(ししく)第一と称される。また十六羅漢の一人。この像を堂の前に置き、撫でると除病の功徳があるとされ、なで仏の風習が広がった。「おびんづるさん」「おびんづるさま」と呼ばれ親しまれてきた。

お釈迦様の弟子。弟子中でも獅子吼(ししく)第一と称される。また十六羅漢の一人。この像を堂の前に置き、撫でると除病の功徳があるとされ、なで仏の風習が広がった。「おびんづるさん」「おびんづるさま」と呼ばれ親しまれてきた。


勢至菩薩

【勢至菩薩】
迷いの世界の苦しみから智慧を以て救い、亡者を仏道に引き入れ、正しい行いをさせる菩薩。サンスクリット語でマハースターマプラープタ(偉大な勢力を得たもの)といい、大勢至、得大勢などと訳し、その略名が勢至である。智慧(ちえ)を象徴する勢至菩薩は、慈悲をつかさどる観世音菩薩とともに阿弥陀仏の脇侍とされる。智慧の光をもってすべてのものを照らし、もろもろの苦難を離れさせ、衆生に菩薩心の種子を与え、無上なる力を得させるので、この名があるという。宝冠の中に、もろもろの智慧の光明を盛った宝瓶(ほうびょう)をのせ、手に蓮華を持つ姿に表す。午年の守り本尊、十三仏の一周忌本尊として知られている。

 

 




納 入 実 績

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